昼の三時に起きた
ああ。
今日は土曜日。起きたのは午後三時。絶望の瞬間。つけっぱなしの電気。うつぶせの体。下敷きになってしまっている右手。外れてしまっているベストセラー1位のアイマスク。床へ落ちてしまっているティッシュの箱。
連続的な冷房によってつりかけているふくらはぎを重く持ち上げながら、ベッドから体を起こす。そういえば最近、睡眠時に夢を見ていないことに気がつく。確実に夢を見ることができる方法があれば、自分は実行するだろうか。例えばそれが悪夢を含んでしまう場合。恐らく実行するだろう。悪夢であろうが、楽しい夢であろうが、「夢を見る」という体験はランダム性の上で成り立っている。だからそこに価値を見出してしまう。いや、完全な運とは言い切れないのかもしれない。ただ、そういった方法を利用して努力をするということは、夢の本質に反しているのではないか。と思ってしまう。少し話がずれてしまったようなので、本筋に戻ろう。要するに、「夢を見たいか」というアンケートだと考えるのが適切なのかもしれない。
先ほども書いたように、個人的な答えとしてはイエスだ。まだ完全なVR空間が確立されていない現代において、夢の中というのは仮想現実の終着点なのではないかと思う。内容を自分で決めることができないとはいえ、非現実的な空間に浸れる最も身近なものとしては夢が代表的だと思うからだ。
それにしても、「夢」という1文字に
- 寝ている間に発生する幻覚体験
- 将来への実現させたい願い
の大まかに2つの意味が含まれているのは余りにも出来すぎている。と、感じる。しかもその2つの意味が重すぎる。よっぽど信頼されていたのだろう。
とまあダラダラと書き綴ってきましたが、今回のブログはここらで終わろうと思います。文中でちょっといいこと言おうとしてる感からか、言い切る言い方になってますね。〜だ。とか〜である。とか。まあこんなこと言い始めたら、もうひと記事書けちゃいそうなので本当に終わります。読んでいただきありがとうございました!